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Asako Yamamoto

No..102 静岡の心の友-3

私の分身・・利子さんへ寄せる手紙1(大人になった息子達のこと)











 

>>前回のお話


この夏に次々と誕生日を迎え、24歳と26歳になった息子達。
今年は何故か、思いの外、一段とおとなになったなぁ・・とつくづく思った今年です。
そう思うと貴女に思い出話をしたくなりました!

誕生日には8月生まれの次男がストロベリー(冷凍があった)チョコレートケーキ、
9月生まれの長男はマロンシフォンケーキでご要望通りのお手製バースデイケーキを焼かせて頂き(笑)お祝いをしました。 奥さんもらったら、こんな光景もなくなるなぁ・・。


彼らが20年前・・・「あぁ・・そうか・・・そんなにも前なんだ!」、4歳と6歳の幼稚園児だった頃、
そう思うと、今まで忘れていた強烈な光景がよみがえってきます。

あのころ!やんちゃな二人の男の子の世話に苦心惨憺していた若い母であった自分。
おとなしく二人の弟に絶対的な力を持っていた姉が小学校に上がってしまい、
長女と長男を二人幼稚園に通わせていた頃よりも、数段忙しい・・・
気の狂いそうになる(苦笑)朝を迎えていたのでした。

遅れがちになる登園時間。一番早く、クラスの誰よりも早く登園したい二人の勝ち気な息子。
大きくなった二人の息子をどのようにして一台の自転車で送るのか!
その当時、我が家には免許を持っている人間はいなくて、自動車無しの生活でしたから、大問題。

そこで開発した離れ業。自転車の前に次男が立ち(!!!)後ろに長男が座るという・・奇想天外なあぶない「わざ」・・・・・・
次男は、サドルと座るところを繋ぐ自転車のパイプに足を縦に並べるようにして、ハンドルを持つ私の両腕の中で立っておりましたね。
背が高かった次男の顔が私の顔にほおずりするように並び、和気藹々と走っていく!
今から思えば、後ろに座る長男が重しになって 前の二人を支えてくれていたんですね。

本当は前にそうやって乗るのを発明(?)したのは彼でした。長男は抜群の運動神経と 無謀な精神を持っており、
住居であった7階建てのマンションの廊下の手すりを1階から4階までジャングルジムさながらに上り下りして、
遊び場所にしていたことがあったほど。後で知って冷や汗をかいたのですが・・・。
自転車の曲乗りなど朝飯前? どちらも決して真似をすべき事ではありません。
それでも平気でいられたその当時の私はどうかしていたのかもしれませんが、

冬でも裸足、地面を走り回り、泥にまみれて大きくなったガキ大将達は、学習能力はともかく?こういったやんちゃにかけては、
危なげない器用さとたくましさを持っておりました。明治大正生まれの男の子みたいに都会の真ん中であるのに、
「野生児のごとくに育った」・・・そう、善意に解釈お願いします。 園ではこの風景がものすごくかっこよく見えたらしく、
自転車で送られてくる子どもは前のかごや、後ろの座席に座らないようになる 「ブーム」が来てしまい、
園長先生、主任教諭の方から「あなた達のせいですね。」と、こっぴどく叱られたこともありました。

今から思えば、あの大変な朝の風景。なんと懐かしく心温まる日々であったでしょう。
母がする全ての行為が彼らの血となり肉となり、心と体を育てたのです。
そんな思い出の詰まった肉体と精神を持つ二人の息子たち。 24歳と26歳の彼らを持つ母は幸せです。

日本に徴兵制度が無く、戦争に行かなくて済む喜びを感じずにはいられません。
就職難、住みづらい世の中、心を病む若い人も多い中、知性を身につける機会を失い・・・
覚醒剤や犯罪に手を染め、 又は、ふしだらな喜びに人生を摩耗させてしまう男女がたくさんいる。

DVだ・・・虐待だ・・・と騒ぐ社会現象が悲しいと言っても、 先の大戦で、人殺しのために派兵され、
本当に人を殺してしか生き残れない恐怖を味わい、有ろう事か・・・見方にも見放され、
援軍を立たれながら南国の孤島で餓死した哀れな同世代の若い兵隊さん達を、
敵軍を的にして飛行機でつっこみ、魚雷を操って深海を 進んだ人達を思うとき、
言語道断非道な空襲、原子爆弾の一発で焼き殺された不幸な命を思うとき、
一言あえて言いたいのです。 今ある幸せを、自分に与えられた生命の日々を感謝して欲しい。

母から息子への一言は感謝の言葉のみです。
「なんて愛おしい・・なんてすてきな・・・。君たちに会えて良かった。」

きっと利子さん! 貴女も、二人の息子さん達に々事を思ってらっしゃるでしょう・・・
「なんて愛おしい・・なんてすてきな・・・。君たちに会えて良かった。」